〈略歴〉

・昭和42年11月 7日    父光輔、母久子の長男として生まれる。三男二女の三番目。
・昭和46年 4月       ミクニ幼稚園に入園。三年間お世話になる。
・昭和49年 4月        塩竈市立第三小学校入学
・昭和55年 4月        塩竈市立第三中学校入学
・昭和58年 4月        東北学院榴ヶ岡高等学校入学
・昭和61年 4月        東北学院大学 経済学部 経済学科入学
・平成 2年          宮城県議会議員 佐藤 光輔秘書
・平成 7年 7月        参議院議員 市川 一朗 公設秘書
・平成11年 4月        宮城県議会議員選挙(塩釜選挙区)初出馬
               5,300票もの貴重な票を頂くも次点惜敗
・平成15年 4月        宮城県議会議員選挙(塩釜選挙区)から2度目の出馬
              7,730票もの貴重な票を頂きトップ当選
・平成19年 4月        宮城県議会議員選挙(塩釜選挙区)から3度目の出馬
                8,740票もの貴重な票を頂き再びトップ当選
・平成23年10月       宮城県議会議員選挙(塩釜選挙区)から4度目の出馬
               6,577票もの貴重な票を頂き三度トップ当選で3期目の県政へ
               この年は、例年4月に行われる選挙が、
               3月11日に発生した東日本大震災の影響により10月にずれ込んだ。
                塩竈の被害も甚大で、頂いた1票の重みを一段と強く受け止める
・平成27年10月       宮城県議会議員選挙(塩釜選挙区)から5度目の出馬
                7,082票もの貴重な票を頂き4選目もトップ当選
・平成30年11月       第42代宮城県議会議長を拝命
・令和元年 7月        第42代宮城県議会議長を辞任
・令和元年 8月       宮城県議会議員を辞任
・令和元年 9月       塩釜市長選挙初出馬
             13,028票もの貴重な票を頂き当選

〈エピソード〉

■1976年(光樹誕生)

父(光輔)と母(久子)の五人兄弟〈姉:薫、次姉:千鶴子、次男:亘、三男:光〉の三番目、長男として生まれた。

■1971年( ミクニ幼稚園時代)

父(光輔)がPTA会長をしていたミクニ幼稚園(塩竈市錦町)に3年入園した。
当時3年保育は珍しく、確か僕の時代では一人だけだった。牛乳が飲めなかったため、毎日出る牛乳と戦った。
友達は午後1時に一斉に帰ったが、僕だけは3時頃迄残された。幼稚園バスがなかったために、バス通園(宮城交通)していた記憶がある。
当時、弁天湯というお風呂屋を経営していた父と母。忙しく働く父と母に代わって帰宅してからは、姉に遊んでもらった。

■1974年( 塩竈市立第三小学校時代)担任 佐川、白石、杉崎(萩原)、岩崎、後山各先生

この時も牛乳との戦いだった。
毎日の給食が嫌で嫌でたまらなかった。
6年間、厳しい担任、優しい担任の先生で、牛乳に対する考え方が違った。
「絶対飲みなさい」という先生、「仕方ないわね」と言う先生、「無理するな」という先生。
僕は僕で、最終的には、粘りがちだった。
良いか悪いかは別にして、やはり飲めなかった。

小学6年生の時、卒業を控えた11月、頭の手術で入院した。
6年2組、当時のクラスメートが作文を書いてくれて、今も倉庫に残っていると思うが、後山先生が病院に届けてくれた事を今でも覚えている。
卒業アルバムは、全体写真に僕の姿はなく、欠席者欄に掲載されている。今でも大切に残っている。
当時宮城県議会議員をしていた父光輔。そのときの文集かアルバムに、『お父さんのようになりたい』と書いたのが、もしかすると政治家になりたいと意識した最初の一歩かもしれない。

余談になるが、小学校5年生の時、父が市議会議員から県議会議員に多くの皆様の支援を頂いて転出させて頂いた。
急に父から「自転車を買ってやったぞ」と云われ外に出てみると、自転車に大きく“大〇 佐藤 光樹”と看板が貼ってあった。
頼んでもいない自転車を買ってきた父。その後、意味が良く分かった。
父の会報を自転車のかごに積まれ、近所に配って来いと・・・。
それが僕にとっての最初の‘ビラ配り’の始まりだった。
そして、51歳の今日まで続いている。

■1980年( 塩竈市立第三中学生時代)担任 三浦、熊坂各先生、担任 脇田、杉本各先生

中学に入ってから、学級委員、生徒会役員になった。
生徒会役員になるには、選挙があり、1年のとき、2年の時2回選挙をした。結果は1勝1敗。
成績は、あまり芳しくなかった。部活動は、水泳部。中学一年から塾に通った。学校・部活・塾と大変忙しく過ごした。
今にして思えば、先輩、同級生、後輩に恵まれ、充実した日々を過ごした。今、選挙を支えてくれている友人には、小、中、大で培った友人が多くいる。大変感謝している。
高校受験には、第一希望に落ちた。只、今にして思えば、何となくの受験だったような気がする。
勉強は、あまり好きではなかったが、それなりの努力しか、しなかったと思う。だから、落ちた。この経験は、大変な経験だと思った。
自分が思った分しか、幸福になれない、努力した分しか、幸福は来ない。
政治家になった今。自分の幸福だけではなく、市民の皆様の幸福を第一に考えなくてはならないと思う。
その為に、寸暇を惜しんで努力しなければならない。
結婚が遅れる所以かな(笑)